思わず立ち上がった私に、彼はそういった。
その日本語は恐ろしいほどに正確。
そして、戦前の官憲を思わせる重苦しいものがあった。
「親父は、日本統治時代の警察官だった」
問わず語りに続けた彼の言語レベルは、他の住民とは段違いだった。
台湾東部の南澳(ナンアオ)駅で自転車を借りて漕ぐこと1時間。
坂道に辟易したころに現れる集落、
そこは「金洋村」という山岳民族の村だ。
以前、部族同士の共通語がなかったのだが、
日本統治時代に日本語が広まって共通語となり
そのまま今でも使われている、という話を聞いて興味をひかれた。
次々とお年寄りがやってきて、たしかに彼らは日本語ができた。
だが、実際には日本語は共通語として機能しているようには思えなかった。
「オジサン」
という呼びかけ言葉や
「小姐、ドコイク?」
など、単語としてかろうじて存在しているという程度だった。
そこにやってきたのが冒頭の、警官の息子氏である。
「かまわない」
遠慮するな、という意味だということは、日本人である私にはすぐわかる。
かなり古めかしい匂いをまとっていることも、わかる。
だが、いかめしい言葉とは裏腹に、口元には歯が1本しかない。
そのギャップが、長い時間の経過を感じさせた。
現在、彼らの実質的な共通語は、台湾語だそうだ。
「国語(中国語)、台湾語、山の言葉。それと日本語が少し」
主婦として暮らしている60代女性は、みんなこれくらい話せる、と教えてくれた。
この村には日本語のカラオケ店もあるとか。
彼らが歌う姿を見たいと思ったが、夕立を思わせる雲が垂れ込めてきた。
ブレーキの利かない自転車で坂を下りると、
村は、あっという間に山の間に消えていった。